読書

まけばはえ、はえれば育ち、育てば花が咲き、花が咲けば実る。

まけばはえ、はえれば育ち、育てば花が咲き、花が咲けば実る。

G.W.中なので最近読んで良かった文章を備忘録として。
ーー以下書籍より抜粋ーー
自然には法則性があるものの、その自然の前で指をくわえて見ていただければ、何も得ることができず、飢え死にをしてしまう。
氾濫する河川を目の当たりにして、いつまでも指をくわえて見ているだけであれば、その先に未来はない。
人は自らの力を使って、地を耕し、種をまき、育て、実を収穫することができる。洪水に対処するために、土木技術を使って堰を作り、川の流れを変えることもできる。
そのことを金次郎は「人道(じんどう)」と呼んでいる。
自然は忠実に法則を守って循環している。つまり、「天道(てんどう)」。その「天道」に対して、「人道」によって働きかけると、初めて明日生きる糧を得ることができる。
だからこそ、人は「天道」に対して、誠意を持って働きかけていくことが大切だと、金次郎は考えた。
金次郎は「水車」の比喩を使い説明している。
「人道と言うのは、例えてみれば、水車のようなものだ。その半分は水の流れに従い、半分は流れに逆らってまわっている。水車がまるまる水の中につかってしまえば、まわらないばかりか流されてしまう。また、水から離れてしまえば、まわることができない」(夜話)
「水の流れ」とは、「天道」と言うことだ。
このように、「天道」と「人道」が一体となれば、その働き分に応じて収穫を得ることができるのである。

「実はこんなにすごい 再建の神様 二宮金次郎の言葉と仕事」/長澤源夫 じっぴコンパクト新書 より抜粋

2017-05-06 | Posted in 読書No Comments » 

 

伝説の灘高国語教師のが教える勉強法

伝説の灘高国語教師のが教える勉強法

1教科1教師の持ち上がり担当制で6年間の中高一貫教育の学校で、国語教師の橋本武さんが担当した年の学年は東大合格者数全国一位となり、その後も担当した6年おきに百数十名を東大に送り込んだという先生。一体どんな授業をやっていたのでしょうか?

橋本武さんは戦後、墨塗りだらけになってしまった教科書を使うのを止め、中勘助の「銀の匙(さじ)」を教科書代わりに授業を進めました。
主人公の心情の追体験にも重点を置き、話に出てくる凧を作ったり、同じ駄菓子をみんなで試食する。旧暦の暦、外国語を表記する漢字など、わからない言葉が出てきたら横道にそれて徹底的に調べる。その中にこそ学びの本質であると考えていたとのことです。

(さらに…)

2017-03-25 | Posted in 読書No Comments » 

 

なぜメモが大切か?Feel&Think!

 

なぜメモが大切か?Feel&Think!

 

なぜメモが大切かというと、メモが癖になると、”感じること”も癖になるからだ。人より秀でた存在になる不可欠な条件は、人より余計に感じることである。メモは、感じたことを確認するためであろう。そしてメモを見直すことは、再び新しく感じることにほかならない。ではなぜ、”感じること”が大切なのかというと、感じなければ連想力が湧かず、連想力がなければ想像力(創造力)も生まれないからである。
野村克也『ノムダス 勝者の資格』より

まとめると「メモ」→「感じること」→「再び新しく感じること」→「連想力」→「想像力(創造力)」
いわゆるアンテナを張っている状態。成長したい想いが強ければ有益な情報を聞き漏らすまいとしてメモを取る。記録として残るが、その行為が記憶としても残る。すぐには役に立たなくても、その点がいずれ何か他の点と結びつき線となる。同じような気づきに囲まれた場所は、線と線がつながって面になる。そこに行動が加わりトライアンドエラーを繰り返しながら、再現性の高い立体的な知恵となる。考えるな感じろではなく、感じて考えろということか。Feel&Think!

2017-03-04 | Posted in 読書No Comments » 

 

リーダーが間違った方向に導いていってしまったら・・・

リーダーが間違った方向に導いていってしまったら・・・
虎の尾を履む「天沢履」

「履」とは草履の履です。これは「踏む・履む」という意味があります。何を履むのかというと、実は「礼を履む」のです。虎の尾を履むような危険を冒しても食われずに成功させることができるのは、自分がやっていることが本当に危険な大冒険で、自分にはそれだけの力がないことを客観的にわきまえているからです。それが出発点になっているのです。 自分の力不足を知っていれば、謙虚に物事を学ぼうとする姿勢ができます。また力のある人に頭を下げて 教えを請うこともできます。それが「礼を履む」ということです。

『人生に生かす易経』竹村亜希子著 致知出版社より引用

それ、本当にわかっていますか?

分かっているつもり、知っているつもり、丈夫なつもり、見えているつもり・・・。本当にわかっているのでしょうか?見えているのでしょうか?もう一度よく考えてみましょう。本当はわかっていないのに、わかったつもりになっているのは、それ以上学ぼうとしないのでリスクを伴います。危険なことに挑み、失敗で大怪我するのは自分だけならまだしも、その人がリーダーだったら付いてきた多くの人々が巻き添えを食らいます。特に自分で得意だと思っていることほど、過信して失敗しやすいので注意が必要です。ディテールはともかく大きな方向を見誤らないようにしていきたいものですね。

2017-02-25 | Posted in 読書No Comments » 

 

「元いに亨る、貞しきに利ろし」

元亨利貞(げんこうりてい)元いに亨る、貞しきに利ろし

元亨利貞(げんこうりてい)

以下『易経一日一言』(竹村亞希子 編 到知出版社)より抜粋

「元(げん)」は物事の始まり、元旦の元である。
ここを初めとして万物が生じる。

「亨(こう)」は通る、通じる。
生じた万物が育っていくということ。

「利(り)」は収穫、実り。
万物が育っていけば、必ず実りがある。

「貞(てい)」は正しい。
実りが正しいものであれば、それは堅く守られていく。

貞(てい)は事(こと)の幹(かん)なり。
貞固(ていこ)なればもって事に幹たるに足る。(文言伝)

「貞(てい)」は堅固、成就などの意味がある。
季節では「冬」。
土壌の滋養する時で、内面が充実していく時期。
人の道徳でいうと「知」。
知恵、知識は物事の根幹になる。

始まり(元)、成長(亨)、実り(利)、成就(貞)の循環が
万物に通じる易経の「四徳」で、これが「常態」。
この道を踏み外し、一足飛びに進もうとすると
必ず中途で挫折することになる。

「木を切ってほしい」といつ頼まれても良いように斧を研いでおくこと

・・・種を蒔かなければ実はおろか芽さえ出ない。
ただ、いつどこに蒔いても良いというものではない。
種を蒔くに良い時期がある。凍った土に蒔いては無駄になる。
種を蒔くに良い土壌が必要。荒れた土地に蒔いても成長しない。
人に置き換えると
「種」はこれをやりたい、成し遂げたいという「想い」
「土壌」はその時のために常日ごろから手入れをしておくこと「準備」
だと思う。
種だけ良くても、土壌だけ良くても実りはない。
良い種と良い土壌があって初めて成就する。
種はいつ手にするかわからないが、土壌をつくっておくことはいつでも出来る。

自分のためじゃなくても良い。
例えば
「木を切ってほしい」といつ頼まれても良いように斧を研いでおくこと
「田を耕してほしい」といつ頼まれても良いように鍬を磨いておくこと
「話しをしてほしい」といつ頼まれても良いように本を読んでおくこと
私は今年、得意分野の範囲で人の役に立てるよう、知見を広めておきたい。
あなたは今年どんな種のために、どんな土壌をつくるだろうか。

2017-01-07 | Posted in 読書No Comments »