小ネタ
あれもダメこれもダメ?全てが規制されたらどうなるの?
あるバラエティー番組のキャラクターが、特定のセクシャリティーの人を嘲笑の対象として表現したとして、テレビ局の社長が謝罪するという自体に至った。
そのことにとても強い違和感を感じた。
私自身1対1の会話だったら、わざわざ相手を傷つけるようなことは言わないし、意図しなくてもぽろりと発言してしまわないように、気を付けながら話す。それが礼儀だと思うし、人間関係を円滑にするためのコツだと考えている。
仕事柄、自分が創作したものが何千人、何万人の目に触れる。色々な属性の人が見ることも、中には独特の感性を持つ人がいることもわかっている。常識の範囲でなるべく人を不快に感じさせないように創作しているつもりだ。
ただ、何らかの創作物を不特定多数の人に発信するとなれば、一般的にどんなにハッピーなものでも、発信者が意図せずとも、それを不快に思ったり、傷いたり、悲しくなったりする人がいる。
一見どんなにハッピーな話でも
家族の幸せそうな光景やハッピーエンドの物語も、離婚した人や最近家族の誰かがなく亡くなった人、子どもが出来なくて悩んでいる人達は、寂しさ・悲しさ・辛さを感じさせるかも知れない。かわいい動物の赤ちゃんの紹介でも、飼っていたペットが死んでしまった人は、小さかった頃を思い出して悲しくなってしまう。人気グルメのリポートさえも、病気で食事が出来ない人や、制限されている人、経済的に食べたくても食べられない人。お店にお客さんが来ない飲食店の店主は観たくないだろう。そういう風に考えたら、世の中の人を誰も不快にさせない発信なんてないんじゃないかと思う。
個人的にも世間では高く評価されている人気の芸術作品も、気持ち悪いと感じるものもある。観たくなくても街なかや美術館で偶然観てしまう。だからと言って「こんなところに置いておくから気分が悪くなったじゃないか!」「こんな作品を高く評価しているのは間違いだ!!」などと言って歩くのは到底正気とは思えない。パッと見てそれだとわかったら、足早に通り過ぎれば良いだけのこと。
どんどんつまらない世の中に
もちろん発信する側は、全ての人に受け入れられるクリエイティブなんか無いということを念頭に置いておかなければいけない。だが、受信する側も観る観ないは自由なのだから、観たくなければ目を背けておけば良いのだ。放置して置いたら増々ひどくなるという考えもわからなくはないが、それでも「不快だ」「傷ついた」など文句を言ってクレームを付けていたら、それに反応して規制が出てくる。世の中の創作に対し、あっちからもこっちからもクレームがついたら、あれもダメこれもダメと全てが規制される。そうやって世の中がどんどんつまらなくなる。それどころか伝えたいことが伝えられなくなる恐れもある。巡り巡って自分の首を絞めて、生きづらい世の中を作っていることに気づかないかな?
中庸が大事
かと言って、どんな表現を発信しても良いということではなく、中庸が大事だ。「この表現は誰かを傷つけないか?」「これを見て辛くなってしまう人はいないか?」など考えながら創作する作品で、秀逸なものが仕上がるとは思えない。ガチガチに意識して作る必要はなく、あくまで常識の範囲でつくれば良いのではないか。それに外れるものは放っておいても世に出ない。出てもすぐ消える。言わずもがなだが、大多数の人を不快にさせるものなど評価されない。極端な表現をしたいなら、自分だけとか理解してくれる仲間内だけで楽しめば良い。表現の自由は保障されている。それをわざわざ見つけて文句を言うなど、大人のやることではない。
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